久保建英

写真

神奈川県川崎市麻生区 出身

生年月日 2001年6月4日

身長173cm 体重67kg

幼少期 バルセロナ時代

3歳のとき、サッカーを始めた。

2009年、久保が8歳のとき、日本で行われたFCバルセロナキャンプでMVPを獲得。

その後、FCバルセロナキャンプ選抜として、ソデクソ・ヨーロピアン・ルーサスカップに参加し、 見事、大会MVPを獲得。

2011年、久保が10歳のとき、FCバル の下部組織、カンテラに合格。日本人初めての快挙であった。

シーズンには地中海カップU-12トーナメントでアンス・ファティ選手と共に大活躍。

悪魔のコンビと呼ばれた。

そして久保はその大会MVPと得点王を獲得した。

しかし、FCバルセロナはFIFAから18歳未満の選手の登録違反により 制裁措置を受け、公式戦出場停止処分をくらってしまう。

その後、やむを得ず、日本に帰国しサッカーをすることに決めた。

日本からスペイン スペインから日本 そして再びスペインへ

日本に帰国してから久保はFC東京で2年、横浜Fマリノスで1年を過ごした。

久保は日本に帰国して楽しみにしていたのが女子高校生の制服を見ることだったらしいが、 久保がJリーグで試合に出るため、行ける高校が限られてしまい、 自由服で登校する高校になり、残念だったと語っている。

久保はスペインから帰国しても日本でサッカーをし続けた。

中学生ながらU-18の日本クラブユースサッカー選手権に出場、

得点王に輝く。

その後、J3リーグでvsAC長野パルセイロ戦で後半から出場を果たし、

リーグ史上最年少記録を塗り替えた。

2017年4月15日vsセレッソ大阪でjリーグ最年少得点を決めた。

その後、2年間を日本で過ごし、18歳のとき、レアルマドリードへの移籍が決まった。

黄金 スペインの地に再び

レアルマドリードへの移籍後、久保は中々出場機会を得られないため、レンタル移籍を決意。

2年間でマジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェ、再びマジョルカの計4つのクラブを渡った。

しかし、レンタルということもあり、なかなかスタメンに定着できずにいた。

久保建英、最後の思い

後に久保はこう語っていた。

これが最後のチャンスだと思っていた。これに全てを賭けていました。


久保は完全移籍という形でレアルソシエダに移籍を果たした。5年目ということもあり 周りからは"終わった選手"や"久保はもう活躍できない"と色々なことが言われていた。

しかし、そんな言葉が飛び交うことも開幕戦と共に消えることとなる。

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日本の至宝 久保建英 ソシエダで花開く

久保はソシエダの開幕戦にスタメンで出場。その試合で決勝点となる1点を上げ、見事勝利に貢献すると、そこから久保はどんどん目に見えた成績を残していった。

22-23シーズンは9ゴール4アシスト9度のマンオブザマッチを獲得し、年間ベスト11に選ばれる活躍となった。

そして、現在

今は23-24シーズンが開幕しており、久保はリーグの中でも屈指の存在となっている。

わずか10試合で5ゴール2アシスト6度のマンオブザマッチを獲得し、市場価値が5000万ユーロ、約80億円となっており、三笘選手と共に日本トップである。

さらには、今世界で一番活躍していると言えるあのジュード・ベリンガムを抑えて9月のラ・リーガ月間MVPを獲り、快挙を成し遂げた。

これからも久保建英の活躍は続くだろう。皆で久保建英を応援しよう