
皆さんは、第二次世界大戦と聞いたら何を思い浮かべますか?
戦車、核爆弾、戦艦など様々なことを思い浮かべると思います。
今回は僕が中2に頃に初めて知って、気がつけばズブズブ沼にハマっていた駆逐艦
について話していきたいと思います。
駆逐艦について
駆逐艦とは多様な作戦任務につく重装備・高速の水上戦闘艦です。
初期は主力艦を護衛して敵の水雷艇を駆逐するための大型水雷艇として登場しましたが、
しだいに水雷艇の代わりにそれ自体が敵艦隊への水雷襲撃を行うようになりました。
また潜水艦に対する攻撃や偵察・哨戒、船団護衛など、
多岐にわたる任務に酷使される便利な艦種に成長していきました。
日本では165隻の一等駆逐艦が建造され、戦争に参加しました。
今回はそんな数多くの駆逐艦の中から、雪風
について紹介しようと思います
参加した主な海戦
スラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、
第三次ソロモン海戦、コロンバンガラ島沖海戦、
マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、坊ノ岬沖海戦
概要及び戦歴
雪風は陽炎型駆逐艦の8番艦であり、陽炎型駆逐艦で
唯一終戦まで生き残った駆逐艦です。数多くの
主要な海戦に参加するも、なんとほとんど損傷を受けずに
終戦を迎えているため「奇跡の幸運艦」と呼ばれています。
雪風の初の海戦は、スラバヤ沖海戦で、米潜水艦「パーチ」
を沈めており、ここから雪風の伝説は始まりました。
次に参加した海戦は、ミッドウェー海戦、あの空母が4隻
沈んだことで有名な海戦です、そこで雪風は輸送船団の
護衛をしていたが、空母を4隻失ったため撤退しました。
その後も、様々な海戦に参加し、数々の戦果を得ました。
また、雪風はビスマルク海海戦で朝雲と協力し
合計1018名を救助するなどといった味方の救助活動も
多く行っています。
最後に、戦艦大和が沈んだ海戦、坊ノ岬沖海戦について話します。
雪風は海戦中、魚雷が当たりかけるも、艦底を通過、
ロケット弾が食糧庫にあたるが不発するといった
幸運のおかげで他の駆逐艦が次々と大破、沈没
していく中、最後までほとんど損傷なしで生存しました。
海戦後、いつ敵襲が来てもおかしくない中、
数時間かけありったけの小舟を動員し、救助活動をしました。
雪風の幸運について
雪風は前述した通り、幸運艦として有名です。
雪風の幸運エピソードについて箇条書きしてみました。
・ミンダナ島で修理中、敵の爆撃機の奇襲を受けるも
たまたま機関部を動かしたままにしていたため逃げれた。
・航行不能の味方を曳航中、磁気機雷に反応するも
遅延爆破したお陰で、2隻とも無事だった。
・敵艦載機の大部隊の空襲を受けるもスコールが発生した
お陰で、味方が全員無事だった。
・負傷したため帰国している途中でたまたま、
漂流しているイカダを見つけたため救助。
・前述した坊ノ岬沖海戦で、ロケット弾が不発したり、
魚雷が艦底を通り抜けたりした。
・機雷に触雷するが、2回触れたら爆発する物だったので助かった。
終戦後
終戦後、雪風は復員輸送艦として、多くの海外にいる人々を
帰国させた。またその中で、雪風艦内で妊婦が男子を出産
しており、当時の佐藤精七艦長が「博雪」と名付けている。

↑復員輸送に従事した時期の雪風
その後、雪風は戦時賠償艦として連合国へ引き渡された。
その時に、連合国は雪風が見事に整備されている事に感嘆した。
賠償艦艇配分会議の結果、中華民国への引き渡しが決定し、
雪風は「丹陽」と名付けられた。
丹陽は、中国人民解放軍との間で発生した幾つかの実戦に
参加したり、また、油槽船「トープス」を拿捕したりして、
終戦後も活躍した。

↑改装後の丹陽
最期
丹陽は、1965年12月16日に機関の老朽化によって退役した。
その後、1969年の台風で丹陽は浸水で損傷してしまったため、
1970年前半に解体が行われ、1971年12月31日に解体が完了した。
また、1971年12月8日に中華民国より雪風の舵輪と錨が
返還されており、舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に
錨はその庭に展示されている。

↑展示されている雪風の錨
最後に
ここまで、読んでいただきありがとうございました。
今回は雪風について解説しましたが、駆逐艦はまだまだ多くあり、
どれもとても魅力的なストーリーがあり、とても面白いので、
これを読んで興味を持っていただけたらとても嬉しいです。